いよいよUFCファイターに!【UFCファイターのなり方教えます】完結編!!

UFC
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水垣でーす!!

今回はだいぶ間があいてしまいましたが、【UFCファイターのなり方教えます】の完結編です!この企画では、UFCファイターになりたいと思ったらどうしたらいいの?どうやったらなれるの?自分には可能性あるの?と思ったそこのあなたに向けて、水垣がどんな感じでUFCファイターになったかを自分のキャリアを振り返りながら書いています。これを読んで我こそはと思った方とりあえずここへどーぞ→Belva上大岡(と言うお決まりのジムの宣伝です。)

【UFCファイターのなり方教えます】①

【UFCファイターのなり方教えます】②

前回までの話はこちらから。

ここまでの話では、プロになるまでの話をしてきましたが今回はUFCファイターになるまで一気に書いて完結したいと思います!!と、言うわけでまずはプロデビュー頃の話から。

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修斗時代

自分のプロデビューはモチロン修斗でした。前年のアマチュア王者としてプロ修斗の新人王トーナメントにエントリーします。5勝して新人王になるのですが、デビュー戦から十字を決められかけて、ヒヤリだったり(2ヶ月くらい肘痛かった記憶があります。)2回戦では、左手の力こぶの形が崩れるくらいの酷い肉離れ(これも結構長引きました)、さらに3回戦ではダウンしてKO負けするとこだったし、3回戦からのスケジュールが、9月、11月、12月と言うめちゃハードスケジュールで、年間5試合、引退するまで1年で5試合やったのはこのデビューした2005年だけでした。

結果新人王になるんですが、自分的にはぶっちぎりって感じではなかった気がします。ただそんな激闘感が良かったのか、人より多い試合数で優勝したのが良かったのか、(アマ王者で出た新人王トーナメントなのに小さい山からで、他の人より多く試合してるんです。なんでや!)なんとこの2005年の新人王の中からMVPに選ばれます!このMVPはもう出世の特急券みたいなもので、2002年から始まった修斗新人王トーナメントですが、初代MVPが川尻さん、次が高谷さん、リオン武さんと、いう感じで、当時は「やった!出世間違いなしや」と思う一方で若干プレッシャーを感じたのも覚えてます!

ちなみに、2005年の修斗新人王の他の階級には、中村K太郎選手や廣田瑞人選手がいて3人もUFCファイターが誕生してる当たり年だったんです。ちなみに堀口恭司選手と佐々木ウルカ選手は2010年、のりちゃんこと田中路教選手は2011年と修斗新人王のUFCファイター率の高さはなかなかです!最近では平良選手も2018年に新人王を取得してますし、とりあえず修斗の新人王目指すか!と言うのいは間違いではないですが、最近はDEEPやパンクラスからUFCいく選手も多く現状はどこがいいかは五分五分じゃないでしょうか。

写真:ちょっと前になんかの機会に三人で撮った写真。

さて、水垣はその翌年になんと元王者の松根良太さんと対戦させてもらいます!(MVPの特権?)僕自身キャリアを通して3回世界一への挑戦だと思って試合に臨んだことがあるのですが、その1回目がこの松根さんとの1戦でした。(あとはミゲール戦とドミニク戦)この試合をなんとかドローで切り抜けるんですが、ここから水垣の人間的脆さがでます!

『まぁ今世界一とドローだから世界一になるのも時間の問題だな』

これが当時の心境wwwwwwwマジでぶっ叩きたいです!!!何やっってんだと!!!案の定練習量が減り次の試合であの大沢ケンジさんにぶっ飛ばされて我に帰ります笑(ありがとう大沢さん)このあとも、負け、ドローと続き松根戦以来4試合勝てないという天罰が下ります(笑)ただここでただで転ばないのが運のいい水垣、戦いの場所を移します。

ケージフォース参戦

ちょっと勝ちから遠ざかってしまった水垣ですが、当時の所属ジムの会長が一旦他の団体に出て体制を整えようと考えてくれてケージフォースと言う新しい団体に出ることになります。この大会の名前通りリングではなくてケージで試合を行う大会で、今では当たり前ですが当時は画期的で大会の顔はUFCに参戦してタイトル戦も戦った宇野さん(今でもお世話になっております)大会のテーマがUFCで通用する日本人を送り出すと言うことで、話題になった大会でした。(無くなっちゃったけど。。。)

写真:ケージフォース時代の水垣!黒いねw

ただ、当時UFCは今で言うライト級までしか階級がなく、UFCに憧れがあった水垣はケージで戦えるのはすごく嬉しかったのですが、直接UFCに参戦に繋がるというわけではありませんでした。そんな中ケージフォースに参戦し始めたくらいに出会いがあります。そう、WECを当時の専門誌で見て衝撃を受けます。軽量級版のUFC、まさにそういう大会で、丁度その頃にユライヤvsパルヴァー、アルドvsペケーニョ、チェイスビービーvsヤヒーラの試合がWECであったのですがことごとく日本で強かった選手が負けるんです。さらにヤヒーラに勝ったビービーはその後ミゲール・トーレスに負けて、とにかくなんだこの大会は!!!ここでやりたいと強く思った記憶があります!

写真:僕の格闘技の方向性を決めた1戦

ここで、さっき話た運のいい水垣の出番です!なんとWECに出たい!!と思った途端に翌年のケージフォースでバンタム級の初代王座決定トーナメントの開催が決まり、優勝者はWEC参戦が約束されるというなんとも凄いことになって、ちょうどケージフォース参戦後に調子を取り戻していた水垣にも出場のチャンスが巡ってきました!!もう持ってるとしか言いようがない!!そして順当に?勝ち上がり決勝戦を迎えます。この決勝戦は現役中に試合をした中でも忘れられない1戦になっています。

決勝戦の相手はジムに入った当初から自分を指導してくれた先生の一人でもある大石真丈さん。トーナメント始まる前に決勝まで当たらないという約束のもと出たのですが、結局お互い勝ち上がって決勝で戦うことになりました。自分自身は結構やるしかないと心は決まっていたのですが、セコンドの先輩達はきっとやりにくかっただろうなと今では思います。(当時はあんまり気にしてなかったですがw)自分の中では卒業試験的な気持ちでこの試合を戦いました。(何からの卒業かはよくわかりませんが)卒業試験も無事突破して、優勝しケージフォースのバンタム級初代王者となりWECへの切符を手に入れます!!ある意味格闘技人生を切り開いた瞬間だった気がします。

そしていよいよ、WECとの契約となるわけですがアメリカと団体との契約なので、契約書もやり取りも英語(当たり前だけど)まぁ当然間に入ってくれるエージェントが必要になるわけで、そこで出会ったのがご存知の方も多いと思いますが、シュウ・ヒラタさんです。こういうエージェントの方は常にアンテナを張っていい選手を探して声をかけているので、トーナメントが始まる頃から優勝したら一緒にやりましょうと声をかけてもらってたと記憶しています。今では平良選手なんかは大手のマネージメント会社と契約したりとUFCの規模が大きくなり、色々な可能性が増えてきていると思いますが、当時は数人の方がUFCと日本人選手の間に入ってくれていたような状況だったと思います。

シュウさんとの初めて会ったのは、優勝した後にジムにきてくれて話をした時なのですが、第一印象は『わぁ、なんか怪しい人だな』でした。(ごめんなさいシュウさんwそれから引退するまでの10年くらい一緒にやってきましたし、今でもたまに仕事ふってくれます。ありがとうございます。)

写真:1番手前がシュウさん、後に対戦するコーディーとレジェンドのケンフロさん、そしてUFCマッチメーカーのショーンというなんか盛りだくさんな写真

そしていよいよWECに参戦するわけなのですが、その前にちょっとだけおまけの話を。実はケージフォースを優勝した後もう一ついいオファーをもらっていて、それが大晦日などで大会をやっていた当時の日本のメジャー団体のドリームでした。まだ僕の階級がなかったのですが来年から始めるからとのことで、オファーを頂きました。ただ僕の気持ちは決まっていたのでお断りするのですが、一回大晦日の大会見にきてくれと言うことで見に行ったんです。大会後に大会に出るでない関係ないから写真撮るだけだからと勧められるままにリングに上がって、近くにいた井上和香さんかわいいなぁって見てたら、携帯がなって、シュウさんからでWECのマッチメーカーのショーンがTVで見てたらしく水垣はドリーム出るのか!って言われちゃってるからすぐリング降りてっと言われて、凄い焦ったのを覚えていますw(大人ってなんか怖いですねw)

WEC参戦初戦はいきなり世界戦

WECとの契約もまとまり、あとはいつWECデビュー戦を迎えるかと言う段階だったのですが来たオファーがいきなりの世界戦、当時の王者のミゲール・トーレスとの試合でした。今でも忘れないのですが、警察署で免許更新の違反者講習(安全運転を心がけましょう)を受けていると電話がなって、折り返すと4月の頭にシカゴでミゲールとできないかと言う話でした。当時のWECのチャンピオンで文句なしのバンタム級世界一の選手です。彼の地元はシカゴで、地元での世界戦が決まっていたのですが、挑戦者のブライアン・ボールズが怪我で欠場、このタイトル戦無しには成り立たない興行なので代役を探していて白羽の矢が立ったのが水垣だったんです!

写真:初参戦で写真間に合わずでメインなのにポスターにいない水垣

とりあえず、会長と相談して決めますと、電話を切るとすぐに会長と電話で話します。で、ここで会長には「やめておいた方がいい」と言われました。初めての海外の試合でいきなりチャンピオンとでさらに相手の地元と言うのと、その中で負けたらせっかく取り戻した自身と調子を失うと、また長引く(当時は今よりすぐリリースされました)将来的なことを考えて今は我慢した方がいいんじゃないかと言う話でした。

僕の中で迷ってたら会長の言う通り、迷いがなければGOというのがあってここでは迷いなくやりたかったので、話し合いの末、じゃぁ頑張れよって、なりました!!(結局負けて、自分のパンチじゃ外国人選手は倒れないというトラウマを植え付けられて会長の言う通りになったのですが笑)ちなみみWECかドリームか、日本かアメリカかっていう選択の時も会長は日本で有名になってからの方がいい契約取れるんじゃない?と言う意見だったのですがここも水垣突っ走りました(笑)なので、相当な格闘技好きじゃないと僕のこと知らないでしょ?w(このブログ読んでる貴方もなかなかですよ!)

この試合は結果負けてしまうのですが、割と内容が評価されて、名前も一気にアメリカの格闘技界に売れたので、後々色々とやりやすかったです!(選手の輪の中に入っても誰だあのアジア人とならずに、あーあの時ミゲールとやったやつかってなって一定のリスペクトをゲットして過ごしやすくなりました。)

この試合は本当に自分の格闘技選手としての価値観を決めてくれました。スーパーブーイングで迎え入れられた入場、でもケージを出るときにはそれが大歓声に変わってもう最高でした!(ミゲールの試合後のオクタゴン内でのインタビューが良かったのかな笑)さらにこの後、インタビューとか会見とかをやった後に僕は救急車で病院直行だったんです。(それくらいボコボコwでもミゲールも結構ボコボコだったんだよ!)それで一番最後にホテルに戻るのですが、その時の事がずっと忘れられなくて、ホテルのロビー周辺で大会関係者や選手とかがアフターパーティー的な感じで大勢いたのですが僕がセコンドの方を借りて足引きずりながら帰ってきたのに気づくと、みんな立って拍手で迎えてくれて、この瞬間ここが自分の居場所で、ここで成功したいと思ったのが強く記憶に残っています!(最後までそれをこじらせてクビになった後も奮闘するのですが、その話はいつの日かにw)

その戦いが評価されたのもあって、その後も次々と強豪を当てられますw(というか当時のWECは少数精鋭で今のUFCよりも人数が少なかった分メンツが濃密でした)ジェフ・カラン、スコット・ヨルゲンセン、ハニ・ヤヒーラ、ユライヤ・フェイバーとWECでは計5戦、連敗はリリースを合言葉に濃密な時間を過ごしました。現役生活を終えて、一番好きな団体は間違いなくWECでそれくらい素晴らしい時間を過ごしました!

写真:このポスターがベガスの空港にあった時は感動しました!ただ撮影がOFF時だったためぽっちゃりな水垣( ・∇・)

そしてUFCへ

そしていよいよUFCファイターへの道が開けます。ユライヤとやる少し前くらいに翌年からWECが軽量級部門としてUFCに合併されると言う発表がありました。当時のUFCはライト級までしかなく、フェザー級とバンタム級の増設=WECの吸収という流れでした。ただユライヤ戦の前には合流後自分に契約があるかはわからなくて、しかも締め落とされて負けたのでドキドキしていましたが、めでたくUFC合流の中に残ることができました!なので、僕はUFCデビュー前の試合で負けているという非常にレアなタイプの選手なんです!!

まとめ

以上でめでたくUFCファイターに水垣はなるわけですが、割と運があったと思います!こればっかりはどうしょうもないので、とにかくベストを尽くしてタイミングを待つしかないですかね。ただ、水垣の直感的に、日本でもUFC熱が再燃する気がしています。(2022年末現在の感想)UFCがまた日本人選手を取り始めていますし、来年からまた盛り上がる気がします(希望込みかもw)。まぁ来ても来なくても僕はUFCを見続けますし、ブログでUFCの話をし続けるんですけどね!

と言うわけで、これで一応この企画は3回目の今回で完結になりますが、僕はUFCで結構長くやれてのはやっぱりWECでの経験があったからだと思います。負けてUFCに合流できるくらいの大会ですから、本当にヤバいやつだらけで、僕はUFCになってちょっと楽になったと感じたくらいです。(大会数がUFCの方が圧倒的に多いのでバンタム級の選手も一気に増えて、ヤバいやつ濃度が少し薄まったからですね。でも少しですよw)水垣のUFCでの話も気になるよって方はこちらも読んでみてください!

UFCサバイバル物語|TakeyaMizugaki
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これを読んだ誰かがUFCファイターになりその試合を解説席で喋るのが楽しみです。勝利ごのインタビューで「水垣のブログを読んでここまできた!」と言ってくださいね!!それを聞いてドヤるのを楽しみにしています!!でわまたー。

コメント

  1. だい より:

    水垣さんはじめまして

    日本のメディアがUFCなど海外団体について詳しく取り上げる事が少なくなった昨今、水垣さんの見所解説はとても分かりやすくためになるのでいつも楽しみにしています。

    大会前の見所解説に加えて、試合後の感想や技術解説等もあれば嬉しいです!(微妙な判定の試合の後はいつも水垣さんならどう判断するのか?と気になってます)

    これからも更新よろしくお願いします!
    後Youtubeのがきらじおもたまには更新して下さい!

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